2周目ではなく2つ目。
こんにちは。べっちです。
突然ですが…
みなさんは、ペンライトを使用するライブに行った際、ペンライトを使いますか?
それとも使わず素手で楽しみますか?
楽しみの形は人それぞれですよね。
今回は、そんな僕自身のライブの楽しみ方についてのお話です。
僕の価値観の話です。
僕が初めてサイリウム…ペンライトを使用するライブに参加したのは2014年でした。
当時は何もかもが初めてで、推しの色や特定の楽曲での色を覚えたり使い方を調べたり、会場での綺麗な光の海に感動したり…
自分がそんな光の海の一部になれることがとても嬉しかったし、ペンライトを推しメンカラーにしてライブを楽しむ。
それを経験したのが始まりでした。
でも、そんな初めての喜びも回を重ね、時間が経てば次第に慣れに変わり、喜びの度合いも薄まってきてしまいました。
いつからか…明確な分岐点は定かではありませんが、ペンライトは要らない。クラップできたり自由にやればそれでいい。ほかのやつがやってくれるし自分はこれで楽しめばいい。
ライブやSNSを介して知り合いが増えていくにつれて、新しい楽しみ方を知っていく中での経験なんでしょうけど、周りの楽しみ方よりも仲間内での楽しみ方に浸っていた。
そんな経験もしてきました。
そして今、自分は日向坂46を応援していて「2つ目」を経験している最中です。
特定楽曲の色やメンバーカラーを覚えたり、JOYFUL LOVEでの自分の位置での色を把握したり。
ペンライトを持たないでライブに行く期間がかなり長かったので、なんか「懐かしいな…」「昔こんな気持ちだったよな…」と思いながらも、そんな今がすっごく楽しいと思える自分がいます。
この懐かしさも、日向坂46を応援したからこそ芽生えた感情なのかもしれません。
JOYFUL LOVEという曲が無ければ、そして有志の方が動いてくれなければ、僕はこうしてまたペンライトを持ってライブに行くってことはしなかったはずです。
2022年3月31日に見た東京ドームでの虹があまりに衝撃的過ぎたんです。
まさか今の自分が光の海にここまでの感動と衝撃を受けるなんて思いもしなかったし、自分もこの一部になりたいと思えたんです。
ここまであの1曲の伝統を守ってきてくれたおひさまの皆さん、最初に動いてくれた有志の皆さんには本当に感謝しかありません。
それから半年近く経った9月10日。
念願の初現地がとっても楽しかったし、やっと虹の一部になれたことがとっても嬉しかったです。
11月の東京公演では運に恵まれ、花道の隣くらいの超近い席だったんですけど、メンバーカラーが2色だからすぐ気づいてくれるんですよね。
レスとか目が合ったなんて所詮幻想でしょって嘲笑っていた自分をぶん殴りたいくらい…
本当に目が合ったどころかレスを返してくれるんですよ。
え?良いの?こんな自分に良いの?って何度も何度も目の前で起こった事実を疑っては感動に浸るといった…見事な落ちっぷりでした笑
とまぁこんな感じでとんでもない経験をたくさんさせてもらって、振り返ればそれらは全てペンライトというシグナルがあって成立したんだなと…。
これらの喜びを味わって、自分はまたペンライトを持ってライブを楽しむという原点に戻ったんだな…と思うことがありました。
しかし、僕は今の経験を「原点回帰」と思うことが不思議とありません。
2つ目なんです。2周目ではないんです。
なにもかもが初めてだった時から8年近く経った今でも、こうして初心に帰ることができるのはありがたいこと。
そこでふと思ったのが…
「この感覚懐かしいけど、初めてなことだらけだよな」
「なんか繰り返しているって感覚ではないな」
うまく言語化できないのがもどかしいんですが、1周終えてそこで1巻を終えて、新しく2つ目が作られるみたいな…。
もう1周にならず新しい1周が生まれるって感覚。だから2つ目なんです。
1周終えて2周目ではなく新しい1巻となることで、これまでの1巻を俯瞰で見ることができる。
だから僕はあの時抱いていた喜びに今の喜びを重ねて楽しむことができているんだなとつくづく思います。
ということは…いずれ自分はペンライトなんて要らないって思う時期が来るのだろう。
…とまで考えることもあります。
でも、現状その気が起こる感じは全く無いし、もし自分の中で慣れの感覚がやってきた時が「2周目の原点回帰の時」だと捉えるのがいいかもしれないんでしょうね。
自分はライブのどこに一番の喜びを感じるのか。
自分がライブに行く目的は何だ。
自分がこれから取ろうとしている行動は、自分の目的の本質から逸れていないか。
そんなこといちいち考えてられない…と思ってしまったら呑まれるだけなので、自分らしさを見失わないよう、都度振り返って自分自身が在りたいスタンスを取っていきたいとは思いますね。
そもそも過去の自分は「大多数の一部だった自分」から「特別な少数一部の自分」になりたかったんだと思います。
誰からも称賛されることもないのに、自分は特別と思われたかった。
そんな時期もありました。
でも今の自分はそんな時期や経験もすべて繋がっていて、今こうした価値観を持てているんだと思うし「大多数の一部だって一人一人が特別」って思える自分がいます。
一人ひとりが特別で、それが集まっての光の海が完成するのだから、僕はその特別な一人でいればいいと、妙に腹落ちする結論を出すことができたんですよね。
誰かがやってくれるからそれで良いはただの他人任せ。その発想がそもそも良くなかったのかな…なんて考えることもあります。
だから、僕は初心を思い出しながら今の楽しみ方を享受しつつ、新しい楽しみ方は一つのそれとして受け止め、自分に取り入れたほうが良いなと思ったら取り入れて、違ったら戻せばいい。
柔軟に難しく考えず推し活していくのが一番なんだと。
肩の力抜いて、楽しく自分のペースで推しを応援していきましょ♪